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古い商業施設の廊下に「歩行中の喫煙」「裸火の使用」を同時に禁止する注意書きがあった。たぶん書かれた当時想定されていないだけだと思うが、文面の論理だけを見れば、電子たばこを立ち止まって使うことは許されているように読めておもしろい。
古い商業施設の廊下に「歩行中の喫煙」「裸火の使用」を同時に禁止する注意書きがあった。たぶん書かれた当時想定されていないだけだと思うが、文面の論理だけを見れば、電子たばこを立ち止まって使うことは許されているように読めておもしろい。
健康診断をした。身長と体重をはかったら「これでいいですか?もう一回はかりますか?」と確認されて、ありなのか、と思った。
「身長と体重をはかる」と書くときの「はかる」はどの漢字を使えばいいのだろうと気になった。
キッチンカーでお昼ごはんを買ったらゆで卵がついてきた。そのまま手渡しされたので、そのまま握って帰った。剥き出しの卵を持って道を歩くのは今日がはじめてな気がした。
宅配ボックスになにかが届いているらしいが、暗証番号が書かれた伝票がポストに入っていない。間違えてほかの部屋に入れられていたのだとすると、協力する謎解きみたいだなと思った。ちなみにどうしよう。
「リップクリーム新しくしたら唇の治安がかなりいい」という会話をしてる人がいた。唇にも治安はあるらしい。
風がけっこう強い日だった。
自分用にアプリをつくった。この日記よりも文章の推敲がなく、もっと雑に、ただ感じたことや出来事や思考を記録する、「選択」だけをして保存する場所。ソーシャルな要素は要らないけど、そういう私の断片を世界に公開はしておきたいと思って、インターネットの隅っこに置いた。
飲み物を買ったらカロリー表示に「LOW」と書いてあった。低いかどうかは人によるような気がして、変な表記、と思った。
「来世はアロワナになりたい、生きてるだけで価値が出るから」と言っている人がいた。はじめて聞くロジックでおもしろかった。
ホーバークラフトという船に乗った。動力となる大きいプロペラがついていてとても迫力がある。じっくり見ていたら、近くにいた整備士さんがその仕組みについてくわしく教えてくれてうれしかった。知らない土地で知らないことについて教えてもらえるといい気持ちになる。
うしろを歩いていた人が「このまえ友人があの雲ハートに見えるって言っていていい感性だと思った」と話していた。その友人のことは知らないが、たぶん私もそう思いそう。
エレベーターにメンテナンスのお知らせが貼られていた。「作業終了時刻は前後または延長する可能性があります」と書かれていたが、「延長」は「前後」に含まれているような気もする。
よく使っているサービスのボタンの配置が変わった。そのせいで、まちがえて「AIとお話しする」みたいなボタンを押してしまう。そんなつもりはないのに、と思って毎回すぐに閉じているが、人間だったらけっこう迷惑行為かもしれない。
仏壇を売っているお店がアウトレットセールをやっていて、ちょっと意外だった。「半額の仏壇」ってパワーワード。
かわいい形のボトルの水を買った。水の味の好みを言えるほど味覚に自信はないが、パッケージの色や形の何がどれくらいかわいいかなら具体的に言える。ぜんぜん味のこと考えて買ってないかも、と思った。
カフェで近くに座っていた親子がスマホで調べごとをしながら一緒に勉強をしていた。「ジェミニ、人間みたい、一瞬ちーちゃんかと思った」と言っていておもしろかった。できればちーちゃんに会ってみたい。
毎週見ていたアニメが終わった。アニメやドラマや週刊漫画雑誌をあまり通ってこなかったので、毎週なにかを待つという経験がほとんどはじめてだった。始まった時点で遠くにある終わりを意識するし、そこに向かって毎週決まって少しずつ進んでいくというのが、たのしみな気持ちとさみしい感覚を同時につくっていて不思議な心地よさだった。
天気予報を見たら桜の開花予想が書いてあった。雨や温度や花粉のことは困らずに生活をするために役立つけど、「いつになったら桜が咲くか」という情報は知らなくても実はそんなに困らない。それなのに、こうやってけっこう正確な予想までして発表しているというのは、ひとつのすてきな豊かさだと思った。
読んでいる本のなかで、自分語りというのは「自分に都合のよい過去をピックアップすること」であり、それは「微妙な形の自己欺瞞」になることを本質的に構造的に避けられない、みたいなことが書かれていた。この日記はまさにそういう側面があるなと思ったのと、私はすくなくともそのことが必ずしも悪いことではないと信じながら日記を書いている。
曇りだと思っていたけど、急に明るくなってきてうれしかった。
地下鉄の通路で日本語の放送と英語の放送が同時に流れていてむずかしかった。
ことし、節分の存在を忘れていたような気がする、ということを思い出した。
雨だった。通りを歩いていたらお寺と花屋と銭湯が並んでいて、系統のちがう良い匂いが順番にやってきてちょっといい気分になった。雨の日は街の匂いが濃縮されているような感じがする。
「住宅展示場」と大きく書かれた看板を背景に自撮りをしている人がいた。私はほとんど自撮りをしないので、そこで撮りたい理由を想像するのはすこしむずかしいと思ったが、実は理由がなくても住宅展示場の看板と一緒に写真を撮っていい。
駅構内のこれまで何もなかった壁に大きな広告が貼られていた。広告が差し代わってもぜんぜん気がつかなかったりするが、何もなかったところに急に現れると変だなと思って目が留まる。
都のアプリから春が訪れた旨の通知がきた。桜の開花状況について書かれていたのだけど、アプリが季節のはじまりを教えてくれるなんて変なディストピアみたいでおもしろかった。
広場にある松の枝が目線の高さまで伸びていた。松の葉っぱはよくもこもことした雲みたいな描かれ方をするのですこし柔らかい印象を持っていたが、近くで見るとけっこう鋭い針の集合でできている。全体と部分で印象が逆転するというのは、探してみればほかにもありそう。
エレベーターに乗ったら香水みたいな匂いがした。つよい香りはあまり得意ではないが、立ち去ったあとそこに居た痕跡をつくれるというのは、身体そのものや声にはできないおもしろさがあるなと思う。
大通りを歩いていたら、建物と建物の隙間と雲と雲の隙間がちょうど重なって、太陽光に急に差された。呼ばれたかと思った。
このあいだ家族にお祝いを贈ったお返しとして、500枚の数独が届いた。変なセンスなのか、もしくは私が変だと思われているのか、両方なのかもしれないが、少なくともうれしかった。
インターネットのタイムラインに占める桜の割合が大きくて穏やかだった。
チュルリョーニスの展示を見にいった。途中、3つ並んだ絵のいちばん右の作品だけ見つめている人がいて、隣にいた友人らしき人に「その絵、連作の最後だよ」と言われていた。それに対して「でもこれがすきなんだよね」と返していて、そのことがとてもよかった。
道沿いに桜が咲いていた。隙間に生えた葉っぱの黄緑色が花よりも彩度が高くて、際立った鮮やかさにすこし見惚れた。
近くのスーパーに「階段は気をつけてください」という貼り紙があった。気をつけるべき対象は明かされず場所のことだけを強調しているように読めて、この階段に漠然となにかありそうな感じがしてくる。
ローストビーフのソースがつくりたくて、すりおろした玉ねぎを電子レンジで温めた。取り出すとき、玉ねぎの成分を含んだ蒸気をまるごと顔で受けてしまって、おもしろいくらい目が痛かった。
電子レンジについているドアというか、扉というか、あれくらいの大きさの開け閉め部分のことをなんと言えばいいのか、微妙にむずかしい。ドアというと人が通れそうな印象があり、扉というともうすこし重みのあるものを思い浮かべる。
街中の大きな画面にウグイスと花の映像が映っていた。枝がしなったり首を小さく動かしたりするようすが鮮明に見えて、鳴き声が聞こえてきそうだった。数年まえに「水平線の向こうに設置された巨大なスクリーンに沈む太陽も人の心を動かす気がする」と考えたことをいま思い出した。
大きな亀の甲羅のようなものを抱えて歩いている人がいた。半透明の袋に包まれていたので実際にはそれが何かわからなかったが、シーリングライトにしては濃い色をしているし、中華鍋にしては歪んだかたちをしていた。なので、大きな亀の甲羅か、そうでなければ知らないものだなと思った。
通りにあるカフェの看板にカタカナで「ブレックファスト」と書いてあった。めずらしいなと思ったが、考えてみれば朝ごはんのことを「モーニング」と書くほうが大袈裟なような気もする。
うっすらと雨だった。公園を歩いていたら、前を歩く2人が散っている桜に傘を差しているように見えて、かなり絵みたいだった。
喫茶店に入った。お支払いは現金のみと書かれていたので財布を確認したら、1251円しか持っていなかった。けっこう緊張しながら800円のクリームソーダと450円のチーズケーキを注文した。
右利きなのに、おにぎりを右手で持つと食べづらいということに気がついた。どこかで利き手を聞かれることがあったら「箸を持つのは右手、おにぎりを持つのは左手です」と言うことにしよう、と思ったが、利き手を聞かれることってふつうにないかも。
「たとえば」といえば具体例を挙げるけど、「たとえ」は比喩のことを指すのってそういえば変なような気もしてきた。
「一緒におやつを食べたりするともだちがいるんだけど」と言っている人がいて、紹介のしかたがすごくすてきだった。
「履歴」という言葉は、その意味の無機質さに対して「履く」という身体の動作を表す字が使われていておもしろい。歴史は履くものなのだな、と思った。
テルミンを触った。箱から伸びたアンテナと私との距離によって音の高さが変わるという不思議な楽器で、手を数ミリ動かしただけで音程がずれてしまう。指先のいちばん先端にある空気のことをすごく意識しながら演奏するので、自分が楽器のような感覚がすこしあった。
会話について考えていた。あなたが知っていることを聞いたり、私が知っていることを伝えたりするのも関係を構築したり維持するのにだいじだけど、「あなたも私も知らない、あなたのことや私のことや世界のこと」について話せたとき、あなたと話せてよかったなとよく思う。
宇宙や量子をテーマにした展示を見た。帰り道、友人と「サンドイッチとハンバーガーの境界線はどこにあるか」という話を30分くらいした。
暖かかったので外の日陰で作業をした。風が心地よかったのと、風が吹くたびに真上にある木から花のパーツが落ちてきて、それが邪魔すぎておもしろかった。
池の鴨が暴れていてかわいかったので動画を撮った。
歩道橋のうえで水を飲んだ。空に雲がひとつもないことに気がついてうれしかった。
道にぺしゃんこに潰れた空き缶が落ちていた。空き缶って潰れ方に個性が見えたり、明るめの色や光沢感が目を引いて、収集心をすこしくすぐるビジュアルをしている。欲しいかと言われたらぜんぜんいらないが、語れるくらいの魅力はある。
ツツジが咲いていた。すこし前に住んでいた街がだいすきでツツジがきれいなことを思い出した。
外に出たら夏みたいな匂いがした。このあいだの週末はすごく暑かったけど、それよりもすこし涼しい今日のほうが夏の実感があるのは不思議だなと思った。
台風についてのニュースを見た。台風というのは、春頃から出現しはじめて夏に多くなるらしい。台風に季節があるということを実はいままで考えたことがなかったが、言われてみればたしかにそんな気がする。このことはどちらかといえば常識の部類らしいが、その常識が形成されなかったということには、すこし変な尊さを感じる。
こどもの国線という短い電車に乗った。車内放送で車掌さんが「電車のカード欲しい人は取りにきてね」みたいなおしらせをした流れで「このあいだですねえ、」とちょっとしたエピソードトークをしていて、それがすごくよかった。
久しぶりに会う人たちと芋煮を食べた。こういうときに声をかけてくれたり一緒に時間を過ごしてくれる人たちにはとても感謝したほうがいい、ということに最近ちゃんと気がついた。気がつくのがかなり遅いし、芋煮はかなりおいしかった。
公園で朝ごはんを食べた。蟻をよく見ていたら同じところを行ったり来たりしていて、目的が見えなくておもしろかった。人間に見えていないだけなのかほんとうに目的がないのかはわからないが、蟻も散歩くらいするか、私もするし、と思った。
電車の中でテザリングをしようとしたら知らない人の「アイフョーン」が出てきて、かなり笑いそうだった。
フィールドレコーディングをつかったアーティストの作品を最近よく聴いている。夜、それを聴きながら大通りを歩いていたら、実際に見ている景色とリアルで立体的な音がぜんぜんあっていなくて、不思議な感じがした。すぐ隣に車がたくさん走っているのに、ほとんど蝉の声しか聞こえない。何かの回想シーンにいるみたいだと思った。